死ぬまで現役、故日野原重明先生、中曽根康弘元総理、長谷川慶太郎先生の生き方~ [長寿]
聖路加国際病院名誉院長である日野原重明医師が、7月18日に
自宅でお亡くなりになりました。90歳を過ぎても、精力的に
活動していた先生ですが、105歳で大往生を遂げました。
また、中曽根元総理は今年の5月で白寿を迎えました。'03年に
政界を引退してからも、戦後政治の生き証人としての存在~
長谷川慶太郎先生も、今年の11月で卒寿を迎えますが、現役の
経済評論家として、積極的に講演・出版活動を行っています。
功績として、人間ドックの実施や病院の災害時体制の備えなどです。
誰もが、90歳を過ぎた日野原医師のエネルギッシュな生き方に感銘
を受けたという話をしています。
でも、意外なのは京都帝国大学医学部に在学中に、結核で一年間の
療養生活を送っています。また、帝国海軍の軍医に任官しました
が、急性腎臓炎で除隊しています。
まさに、若い20代から30代にかけては医者の不養生で必ずしも
健康ではなかったが故に、老いてからが普通の方とちがう人生
を享受なさったようです。
なぜ聖路加国際病院だったのかという疑問も、大病院にありがち
な学閥がなかったからと事で、京都大学教授の椅子も断っています。
この人の凄さは、’74年に病院を定年退職した後に、ずっと聖路加
看護大学の学長を24年間務めた所にあります。その間に、客員教授や
各種の医学学会で会長を務めています。
中曽根元総理と言えば、ロンヤスの時代で長期政権を築いたあの
お方です。レーガン元大統領も亡くなり、あの冷戦末期のSDI構想
の時に日本を「不沈空母」と言い切った、スケールのでかい政治家
でした~が、同期の派閥の領袖には、三(三木武夫)角(田中角栄)
大(大平正芳)福(福田赳夫)と全て総理経験者がいて、ようやく
最後に総理大臣になれました。(徳川家康的なポジションでした)
安倍総理のお祖父さんの、岸信介元総理を「昭和の妖怪」とすれば、
中曽根先生は「平成の生き字引」と言えます。’97年に大勲位菊花大
綬章を受賞、’03年に政界引退してからも、公の場に現れては元気な
姿で演説し、ご意見番的な立場でいまだに長文を書いておられます。
長谷川慶太郎氏の著書やテープ・CDやビデオ・DVDなど、非常にわかり
やすいと評判で、私の父もその著書を集めていました~経済研究の分野で
まだ日本はノーベル賞受賞者がいないのですが、日本人って経済や経営の
理論はずぶの素人の方々が多いのではと思います。勤勉で長時間労働でずっと
やってきた日本が、明治時代から戦前になぜ経済発展をし、戦後も経済成長
を続けられたのか~長谷川先生は、それを他のアジアでは成し遂げられない
日本人独特の見方・考え方で乗り切ったと評しています。意外なのは、元
共産党員の経歴と同時に軍事評論家をめざして努力はしたが、結果的に
はなれずに自衛隊の学校で非常勤講師をずっと続けた履歴です。
雑誌のプレジデントやダイヤモンドによく寄稿なさって、私もよくその
レポートを読みましたが、他の経済評論家と一線を画して読みやすいし
納得できる内容です。
普通の人だと、若いうちにがんばって、年を取るとガタが来たり
成人病に冒されたりで、80歳が一つの節目になります。これを
越しても、淡々と晩年を送る方々が多い中で、精力的に人前に
出て講演をしたり、活動するのは並大抵のことではないと思い
ます。老いても、自分の信念や健康法を見出している方は、
皆さん生涯現役を誇示しておられるようです。
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モチベーションの大家、多湖輝先生逝く、頭の体操、ホイホイ勉強術など
自宅でお亡くなりになりました。90歳を過ぎても、精力的に
活動していた先生ですが、105歳で大往生を遂げました。
また、中曽根元総理は今年の5月で白寿を迎えました。'03年に
政界を引退してからも、戦後政治の生き証人としての存在~
長谷川慶太郎先生も、今年の11月で卒寿を迎えますが、現役の
経済評論家として、積極的に講演・出版活動を行っています。
日野原先生の活動は、相手を動かす
功績として、人間ドックの実施や病院の災害時体制の備えなどです。
誰もが、90歳を過ぎた日野原医師のエネルギッシュな生き方に感銘
を受けたという話をしています。
でも、意外なのは京都帝国大学医学部に在学中に、結核で一年間の
療養生活を送っています。また、帝国海軍の軍医に任官しました
が、急性腎臓炎で除隊しています。
まさに、若い20代から30代にかけては医者の不養生で必ずしも
健康ではなかったが故に、老いてからが普通の方とちがう人生
を享受なさったようです。
なぜ聖路加国際病院だったのかという疑問も、大病院にありがち
な学閥がなかったからと事で、京都大学教授の椅子も断っています。
この人の凄さは、’74年に病院を定年退職した後に、ずっと聖路加
看護大学の学長を24年間務めた所にあります。その間に、客員教授や
各種の医学学会で会長を務めています。
中曽根先生は田中角栄氏と同い年
中曽根元総理と言えば、ロンヤスの時代で長期政権を築いたあの
お方です。レーガン元大統領も亡くなり、あの冷戦末期のSDI構想
の時に日本を「不沈空母」と言い切った、スケールのでかい政治家
でした~が、同期の派閥の領袖には、三(三木武夫)角(田中角栄)
大(大平正芳)福(福田赳夫)と全て総理経験者がいて、ようやく
最後に総理大臣になれました。(徳川家康的なポジションでした)
安倍総理のお祖父さんの、岸信介元総理を「昭和の妖怪」とすれば、
中曽根先生は「平成の生き字引」と言えます。’97年に大勲位菊花大
綬章を受賞、’03年に政界引退してからも、公の場に現れては元気な
姿で演説し、ご意見番的な立場でいまだに長文を書いておられます。
長谷川先生のファンは多い
長谷川慶太郎氏の著書やテープ・CDやビデオ・DVDなど、非常にわかり
やすいと評判で、私の父もその著書を集めていました~経済研究の分野で
まだ日本はノーベル賞受賞者がいないのですが、日本人って経済や経営の
理論はずぶの素人の方々が多いのではと思います。勤勉で長時間労働でずっと
やってきた日本が、明治時代から戦前になぜ経済発展をし、戦後も経済成長
を続けられたのか~長谷川先生は、それを他のアジアでは成し遂げられない
日本人独特の見方・考え方で乗り切ったと評しています。意外なのは、元
共産党員の経歴と同時に軍事評論家をめざして努力はしたが、結果的に
はなれずに自衛隊の学校で非常勤講師をずっと続けた履歴です。
雑誌のプレジデントやダイヤモンドによく寄稿なさって、私もよくその
レポートを読みましたが、他の経済評論家と一線を画して読みやすいし
納得できる内容です。
なぜ、皆さん90歳100歳と活動できるのか?
普通の人だと、若いうちにがんばって、年を取るとガタが来たり
成人病に冒されたりで、80歳が一つの節目になります。これを
越しても、淡々と晩年を送る方々が多い中で、精力的に人前に
出て講演をしたり、活動するのは並大抵のことではないと思い
ます。老いても、自分の信念や健康法を見出している方は、
皆さん生涯現役を誇示しておられるようです。
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