マッサンの時代の、ウイスキーの人気は?ブランデー、ウオッカはあったのか? [酒]
竹鶴政孝氏、いやマッサンの方が今や有名でしょう~
この日本の「ウイスキーの父」と呼ばれた方が、イギリスから日本へ・・・
「ウイスキー」をもたらす以前は?
当時の日本のお酒、それも強い蒸留酒は何があったのか・・・
はたして、日本人の口に合っていたのか?
まず、日本酒があり、それも清酒とにごったドブロクで、当然ドブロクの方が安くて自家製が多かったです。
当然、幕府や藩は年貢をかけるので、酒屋として商売したり、それを売るたびに酒税を納めました。
そして、その濃さですが、なんとアルコール度5%くらいのかなりうすい、酒でした。
次に焼酎ですが・・・主に、九州で作られていました~江戸時代の始めには、いくつか記録が残っています。
琉球経由か、中国からか、朝鮮経由か、どちらにしても外国から伝わってきました。
当時ですから、単式蒸留で一回しか煮詰めていないので、風味は残っていい感じ。
意外なのは、琉球(沖縄県)では焼酎として「泡盛」や清酒、ドブロクと・・・
当時のお酒がすべてあった点です。
これは、貿易がさかんだったために、その製法やモノが手に入りやすかったようです。
まず、ワインが伝わってきましたが、あの赤い色が血をイメージして、みんな覚悟を決めて飲んだとか。
ブランデーも、一番古いのは「電気ブラン」という銘柄で・・・明治26年に売られていました。
国産ワインの歴史は、マッサンと似ていて・・・神谷伝兵衛という人が始めました。
その娘婿の神谷伝蔵が、日清戦争のころフランスに留学して・・・
やがて、日本に戻って神谷ブドウ園(茨城県牛久市)を始めます。
1903年には、シャトーカミヤができて~国産ワインの誕生。
でも、この後の日本のワインの歴史は・・・順調ではなかったです。
もう一人の先駆者、川上善兵衛(新潟県)が日本のワインの父と呼ばれています。
この人が、品種改良を経て日本の土壌にあうブドウを作り、この「マスカットベリー」が日本中に普及。
もう一人上げるなら、宮崎光太郎(山梨県)でこの人の始めた大黒葡萄酒株式会社が・・・
やがて現在のメルシャン株式会社へと発展していきます。
でも、なかなかワインって普及しなかったそうです。
ビール(戦前は、キリンと大日本=サッポロが二大ブランド)やウイスキーの方が、徐々に普及して行きます。
が、日本酒との対立も始まりまして、販売ルートも独自の発達をとげました。
日本人の口にあう、そんなウイスキーを求める、マッサンのドラマ・・・宣伝効果は、かなりあります。
今、ジャパニーズウイスキーで話題の、「イチロー」・・・
肥土伊知郎(あくといちろう)さんの、ベンチャーウイスキーの紹介記事です。
このウイスキーも、なかなか手に入らないレアものですので・・・
同社が生産するウィスキーは、年間で約3万本・・・平均1万円はする高級品です。
だが、常に完売状態で、予約だけで生産分がすべてが売りきれてしまう商品もあります。
なんで?と思いの方は、銀座のクラブに置いてあるか、ご確認を・・・
当時、バクダン焼酎なるメチルアルコールが混入した、粗悪品が出回っていました。
そして、失明したり最悪死亡した人は2400人余り・・・
恐ろしいことですが、酒好きっていつの時代にもいるので、可哀そうな時代です。
戦中、戦後のお酒は、江戸時代なみに薄められたお酒が出回っていました。
それで、戦後の日本酒は特級~二級までの格付けができて・・・平成に入ってようやく廃止されました。
お酒が本来の作り方でない、混ぜ物がハヤる時代で、高い酒ほど混じり物がないとされました。
今でも、新酒が開発されると・・・アルコール度が何%で、作り方は***なんて~
本当に酒かよ?って、酎ハイもどきじゃないの??みたいな不満が残ります。
その伝統は、戦後の混乱期の政府や業界の対応から、ずっと尾を引いてます。
ウォッカも戦後、ユダヤ人ミハイル=コーガンの貿易会社タイトー(今はゲームで有名)が・・・
輸入したり国内製造していました。
ライ麦を原料にして、何回も蒸留を繰り返し、白樺の炭で濾すと混じりけのないものができます。
獺祭の何がちがうのか?
1 作り方が、昔からのやり方でない。(遠心分離システム)
2 結果として杜氏(酒造り職人)ではなく、会社の人が作っている。
3 「磨き」にじっくり時間をかけている。
参考までに、旭酒造のHP・・・
すごい人気で、15年3月現在で2か月待ちで、本数も限りがあるとのこと。
ニッカウヰスキーの「昴」ほどではないですが・・・ゴールデンウィークまでは無理。
「本物」を求める時代に、手間ヒマはやはりかかります。
インターネットで入手できてても、この時間でこの価格!(一升5000~3万円で、二か月待ち)
なんか、また探しにいかなくては・・・という気持ちになります。
この日本の「ウイスキーの父」と呼ばれた方が、イギリスから日本へ・・・
「ウイスキー」をもたらす以前は?
当時の日本のお酒、それも強い蒸留酒は何があったのか・・・
はたして、日本人の口に合っていたのか?
江戸時代のお酒とは?
まず、日本酒があり、それも清酒とにごったドブロクで、当然ドブロクの方が安くて自家製が多かったです。
当然、幕府や藩は年貢をかけるので、酒屋として商売したり、それを売るたびに酒税を納めました。
そして、その濃さですが、なんとアルコール度5%くらいのかなりうすい、酒でした。
次に焼酎ですが・・・主に、九州で作られていました~江戸時代の始めには、いくつか記録が残っています。
琉球経由か、中国からか、朝鮮経由か、どちらにしても外国から伝わってきました。
当時ですから、単式蒸留で一回しか煮詰めていないので、風味は残っていい感じ。
意外なのは、琉球(沖縄県)では焼酎として「泡盛」や清酒、ドブロクと・・・
当時のお酒がすべてあった点です。
これは、貿易がさかんだったために、その製法やモノが手に入りやすかったようです。
明治から大正にかけて、どんな酒が増えたか?
まず、ワインが伝わってきましたが、あの赤い色が血をイメージして、みんな覚悟を決めて飲んだとか。
ブランデーも、一番古いのは「電気ブラン」という銘柄で・・・明治26年に売られていました。
国産ワインの歴史は、マッサンと似ていて・・・神谷伝兵衛という人が始めました。
その娘婿の神谷伝蔵が、日清戦争のころフランスに留学して・・・
やがて、日本に戻って神谷ブドウ園(茨城県牛久市)を始めます。
1903年には、シャトーカミヤができて~国産ワインの誕生。
でも、この後の日本のワインの歴史は・・・順調ではなかったです。
もう一人の先駆者、川上善兵衛(新潟県)が日本のワインの父と呼ばれています。
この人が、品種改良を経て日本の土壌にあうブドウを作り、この「マスカットベリー」が日本中に普及。
もう一人上げるなら、宮崎光太郎(山梨県)でこの人の始めた大黒葡萄酒株式会社が・・・
やがて現在のメルシャン株式会社へと発展していきます。
でも、なかなかワインって普及しなかったそうです。
ビール(戦前は、キリンと大日本=サッポロが二大ブランド)やウイスキーの方が、徐々に普及して行きます。
が、日本酒との対立も始まりまして、販売ルートも独自の発達をとげました。
日本人の口にあう、そんなウイスキーを求める、マッサンのドラマ・・・宣伝効果は、かなりあります。
今、ジャパニーズウイスキーで話題の、「イチロー」・・・
肥土伊知郎(あくといちろう)さんの、ベンチャーウイスキーの紹介記事です。
このウイスキーも、なかなか手に入らないレアものですので・・・
同社が生産するウィスキーは、年間で約3万本・・・平均1万円はする高級品です。
だが、常に完売状態で、予約だけで生産分がすべてが売りきれてしまう商品もあります。
なんで?と思いの方は、銀座のクラブに置いてあるか、ご確認を・・・
戦後のお酒の飲み方・・・
当時、バクダン焼酎なるメチルアルコールが混入した、粗悪品が出回っていました。
そして、失明したり最悪死亡した人は2400人余り・・・
恐ろしいことですが、酒好きっていつの時代にもいるので、可哀そうな時代です。
戦中、戦後のお酒は、江戸時代なみに薄められたお酒が出回っていました。
それで、戦後の日本酒は特級~二級までの格付けができて・・・平成に入ってようやく廃止されました。
お酒が本来の作り方でない、混ぜ物がハヤる時代で、高い酒ほど混じり物がないとされました。
今でも、新酒が開発されると・・・アルコール度が何%で、作り方は***なんて~
本当に酒かよ?って、酎ハイもどきじゃないの??みたいな不満が残ります。
その伝統は、戦後の混乱期の政府や業界の対応から、ずっと尾を引いてます。
ウォッカも戦後、ユダヤ人ミハイル=コーガンの貿易会社タイトー(今はゲームで有名)が・・・
輸入したり国内製造していました。
ライ麦を原料にして、何回も蒸留を繰り返し、白樺の炭で濾すと混じりけのないものができます。
平成の今、獺祭のような酒はうまいか?
獺祭の何がちがうのか?
1 作り方が、昔からのやり方でない。(遠心分離システム)
2 結果として杜氏(酒造り職人)ではなく、会社の人が作っている。
3 「磨き」にじっくり時間をかけている。
参考までに、旭酒造のHP・・・
すごい人気で、15年3月現在で2か月待ちで、本数も限りがあるとのこと。
ニッカウヰスキーの「昴」ほどではないですが・・・ゴールデンウィークまでは無理。
「本物」を求める時代に、手間ヒマはやはりかかります。
インターネットで入手できてても、この時間でこの価格!(一升5000~3万円で、二か月待ち)
なんか、また探しにいかなくては・・・という気持ちになります。
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