お彼岸にお墓参りをして・・・お墓、お位牌、戒名について、考えてみました~ [宗教]
ゲ、ゲ、ゲゲのゲ~って歌いながら、お墓参りしました。
何を不謹慎な!って、呆れた方もいらっしゃるかと思いますが。
何せ、運動会ができるくらいの広さの墓地が、幾つかならんでいて~
かくれんぼは確実にできます。(実際、小学校の時はやっちゃいました。)
これって、すごく微妙な問題で、自分たちの世代や時代に「墓地」は
いらないって、決めます。でも、30年後や50年後に、バカな先祖が
いてとか噂されるかも・・・でも、山奥の草や木に埋もれた墓地を
見ると、あながち必要なのか?って考えたくもなります。
人間が亡くなると・・・死亡届を出して、除籍します。これだけ
だって、お金がかかります。死ぬ直前にお医者さんにかかっていて、
死因が特定できればいいですが・・・(死亡診断書)
できないと、検視して不審死でないという証明が必要になります。(死体検案書)
これで、軽く5万円は取られるので・・・親子で離れてくらしていると~
片親だけになったら、同居した方がいろいろ便利です。
その死亡届がないと、火葬したり、埋葬ができません。
火葬が済むと、はんこが押されて、埋葬許可がおります。
昔(’70年以前)は、すぐ土葬でしたが、これはこれで遺体が
完全に骨になるまでに3~5年かかりました。
都会でも、田舎でも、13回忌でお墓の開眼供養をしたのは、早く
作ると地面がへこんでしまうから。今は、49日で納骨したり、
葬式当日に埋葬しても、誰も文句は言いません。
衛生上、問題がないやり方なので、昔のやり方や作法がなくなりつつあります。
ただ、日本人って散骨は極端に嫌います。理由は、その骨を微生物や
植物が吸収し、やがて昆虫や動物が食べて、最終的に人間に回ってくる・・・
そんな考え方を持つ人が多く、だからお墓を作って区別するのだと言うのは、
少し理解できます。
これも、別に要らないって思っていても、いざ写真(遺影)だけでも
かざるようになります。私も、父が亡くなってから遺品整理をしていた
時に、何か妙に明るい表情の父の写真を発見。そのまま、額縁に入れて
かざっています。
でも、生きたままの姿って、だんだんセピア色になっていきます。
一周忌、三回忌くらいは誰でも覚えていますが、七回忌くらいから忘れていきます。
十三回忌くらいで、はっきり忘れる儀式が必要になります。
仏壇やお位牌、お盆などは、死者の霊をなぐさめると言うより、
生きている人の気持ちの整理です。お爺ちゃんがこうだったとか、
お婆ちゃんはこんなことしていた・・・今は戒名もらって別の世界にいる~
たまに気持ちとして、思い出を語りたい、でも亡くなっているんだ・・・
その戒名ですが、別につけなくてもいいのだけれど、なぜかみんな院号をもらいたがる・・・
どうしても、りっぱだったって言うのを、他人に知らせたい気持ちが働くのでしょうか?
俗名だけというケース、日本以外の国では多いですが・・・
日本では、亡くなってお釈迦さまの近くにいける・・・じゃ、何か箔でもつけなくては。
なんて、じゃお寺に寄付しよう、お寺を守ろう~信心深さを金で計ろうとします。
別に、「喜捨」っていろんな形があるので、毎日、お寺に行って拝むだけでもいいのでは?
普段、忙しいひとが、手を出せない、顔見せられない、その代わりにお金を出す。
それが、いつのまにかお金=長い戒名になってしまったようです。
でも、荒れ寺よりは綺麗がいいし、坊さんがいないよりはいてくれた方が、檀家は助かります。
お寺を維持・存続するため、最低40~50軒の檀家が必要ですし、みんなが寄付しても・・・
やがて、限界集落みたいな場所は、30年もすれば誰もいなくなるので~
お寺だけでなく、学校も病院もお店も・・・無くなります。
紋付はかまって言いますが、今みたいに黒い礼服(略礼装)で済ます時代に、わざわざ・・・
家紋の入った羽織や上着を着て、みんなでぞろぞろ歩くのって、オカシイかも。
でも、他人がきちんと家紋の入ったモノを着たり、持っていると必ず欲しくなります。
皇室は「菊」、徳川家は「葵」など・・・その集団が、同じ何かイメージやシンボルを持つのは大切です。
苗字と家紋は、同じ先祖なら一致しています。
分家した時に、そのまま背負っていきますから、企業の社章も同じ発想です。
子供の時に、読売ジャイアンツや広島カープのマーク入り野球帽をかぶると、強くなった気分でした。
年寄りが紋付きの羽織の着ていると、ご先祖さまのことを思い浮かべて、気持ちがたかまるのかな?です。
爺さまや婆さまになって、初めて気がつくことってあるかもしれません・・・
◎この記事に関連する「宗教」の記事◎
お寺や神社は、誰のもの?宗教施設か地元の共有財産か・・・
何を不謹慎な!って、呆れた方もいらっしゃるかと思いますが。
何せ、運動会ができるくらいの広さの墓地が、幾つかならんでいて~
かくれんぼは確実にできます。(実際、小学校の時はやっちゃいました。)
お墓って必要か?
これって、すごく微妙な問題で、自分たちの世代や時代に「墓地」は
いらないって、決めます。でも、30年後や50年後に、バカな先祖が
いてとか噂されるかも・・・でも、山奥の草や木に埋もれた墓地を
見ると、あながち必要なのか?って考えたくもなります。
人間が亡くなると・・・死亡届を出して、除籍します。これだけ
だって、お金がかかります。死ぬ直前にお医者さんにかかっていて、
死因が特定できればいいですが・・・(死亡診断書)
できないと、検視して不審死でないという証明が必要になります。(死体検案書)
これで、軽く5万円は取られるので・・・親子で離れてくらしていると~
片親だけになったら、同居した方がいろいろ便利です。
その死亡届がないと、火葬したり、埋葬ができません。
火葬が済むと、はんこが押されて、埋葬許可がおります。
昔(’70年以前)は、すぐ土葬でしたが、これはこれで遺体が
完全に骨になるまでに3~5年かかりました。
都会でも、田舎でも、13回忌でお墓の開眼供養をしたのは、早く
作ると地面がへこんでしまうから。今は、49日で納骨したり、
葬式当日に埋葬しても、誰も文句は言いません。
衛生上、問題がないやり方なので、昔のやり方や作法がなくなりつつあります。
ただ、日本人って散骨は極端に嫌います。理由は、その骨を微生物や
植物が吸収し、やがて昆虫や動物が食べて、最終的に人間に回ってくる・・・
そんな考え方を持つ人が多く、だからお墓を作って区別するのだと言うのは、
少し理解できます。
お位牌や仏壇の意味
これも、別に要らないって思っていても、いざ写真(遺影)だけでも
かざるようになります。私も、父が亡くなってから遺品整理をしていた
時に、何か妙に明るい表情の父の写真を発見。そのまま、額縁に入れて
かざっています。
でも、生きたままの姿って、だんだんセピア色になっていきます。
一周忌、三回忌くらいは誰でも覚えていますが、七回忌くらいから忘れていきます。
十三回忌くらいで、はっきり忘れる儀式が必要になります。
仏壇やお位牌、お盆などは、死者の霊をなぐさめると言うより、
生きている人の気持ちの整理です。お爺ちゃんがこうだったとか、
お婆ちゃんはこんなことしていた・・・今は戒名もらって別の世界にいる~
たまに気持ちとして、思い出を語りたい、でも亡くなっているんだ・・・
戒名って、お寺への寄付の額だけでないルール
その戒名ですが、別につけなくてもいいのだけれど、なぜかみんな院号をもらいたがる・・・
どうしても、りっぱだったって言うのを、他人に知らせたい気持ちが働くのでしょうか?
俗名だけというケース、日本以外の国では多いですが・・・
日本では、亡くなってお釈迦さまの近くにいける・・・じゃ、何か箔でもつけなくては。
なんて、じゃお寺に寄付しよう、お寺を守ろう~信心深さを金で計ろうとします。
別に、「喜捨」っていろんな形があるので、毎日、お寺に行って拝むだけでもいいのでは?
普段、忙しいひとが、手を出せない、顔見せられない、その代わりにお金を出す。
それが、いつのまにかお金=長い戒名になってしまったようです。
でも、荒れ寺よりは綺麗がいいし、坊さんがいないよりはいてくれた方が、檀家は助かります。
お寺を維持・存続するため、最低40~50軒の檀家が必要ですし、みんなが寄付しても・・・
やがて、限界集落みたいな場所は、30年もすれば誰もいなくなるので~
お寺だけでなく、学校も病院もお店も・・・無くなります。
家紋は、なぜつける?
紋付はかまって言いますが、今みたいに黒い礼服(略礼装)で済ます時代に、わざわざ・・・
家紋の入った羽織や上着を着て、みんなでぞろぞろ歩くのって、オカシイかも。
でも、他人がきちんと家紋の入ったモノを着たり、持っていると必ず欲しくなります。
皇室は「菊」、徳川家は「葵」など・・・その集団が、同じ何かイメージやシンボルを持つのは大切です。
苗字と家紋は、同じ先祖なら一致しています。
分家した時に、そのまま背負っていきますから、企業の社章も同じ発想です。
子供の時に、読売ジャイアンツや広島カープのマーク入り野球帽をかぶると、強くなった気分でした。
年寄りが紋付きの羽織の着ていると、ご先祖さまのことを思い浮かべて、気持ちがたかまるのかな?です。
爺さまや婆さまになって、初めて気がつくことってあるかもしれません・・・
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タグ:墓地 法事 戒名
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