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核兵器から原子力発電、さらに放射線治療へと変わる平和利用 [原子力]

19世紀にキュリー夫妻によって発見された放射性物質は、

20世紀にアインシュタイン博士により核分裂や核融合へ道

が開け、そして恐るべき核兵器の開発と投下が実施され...

その後、その平和利用の一環として原子力発電の推進と普及

がなされました。が、核災害の頻発と廃炉の問題より、この

道にも暗雲が立ち込めています。今、放射線治療への利用が

一番ムダなく、安全な活用とされています。







キュリー夫妻はその危険性を知らなかった~


放射性物質って昔からありました~同様に、ガンも昔からありました。

でも、放射線が遺伝子を破壊し、細胞の複写・再生ができなくなると

いう研究は、つい2~30年前から始まっています。


つまり、何もわかっていない19世紀の後半に、犠牲を顧みずにキュリー

夫妻はラジウムの研究に没頭し、ノーベル賞も受賞しました。が、夫人は

再生不良性貧血で、旦那は交通事故で亡くなっています。

アインシュタイン博士もそのパワーを知らなかった~


アインシュタイン博士もスイス特許庁の仕事のかたわら、数々の

理論を組み立て思考実験を繰り返し、ある仮説を打ち立てました。

さらに、ノーベル賞の受賞して、やがて他の学者がそれを実証した


結果、原子爆弾が開発されました。キュリー夫妻の発見から40年

余りで、あれだけのモノを作り上げてしまうのは、一握りの天才と

それを中心にしっかりしたモノを作り上げる組織がないとできません。


同時期に、日本でも同様の研究や開発がなされていたので、戦後すぐに

占領した米軍は、理化学研究所の研究・実験施設を破壊しました。それ

でも物足りない占領軍は、さらに非武装中立をめざした平和憲法を押し


つけた結果、現在の日本の核兵器政策が確立します。






アイゼンハワー大統領も核災害は想定外


原子力の平和利用する、具体的には原子力発電所を世界に普及

させようという政策を最初に唱えたのはアイゼンハワー大統領

でした。核兵器を最初に作り、それを投下したアメリカは、同時



にそれが全世界に拡散して第三次大戦を引き起こすことを、どこの

国よりも危惧してこれ以上核兵器を作らせない方針を決めました。

それが原子力発電所ですが、これも初期のころは原子炉を安全な



隔壁で覆ってなかったり、核分裂や核融合が起こり始めた時に

それを止める冷却水や制御棒が無かったりで、特にロシアや

イギリスでは小規模の核災害を起こっていました~その最大の


核災害がチェルノブイリ原発の事故です。いまだに、むき出しの

の建物を放置したままで、石棺化して埋める計画がありますが実施

するための費用のめどが立ちません。

放射線治療の歴史は古い


今、放射能を利用する一番効果的な方法は、ガンの治療です。

ガン細胞にピンポイントに放射線を当てて、その細胞だけを死滅

させます。まさに、毒を盛って毒を制すやりかたで、その照射時間や


回数をどうするかで色々ともめています。厚生労働省では、古いやり

かたで弱い放射線を何回かに分けて照射します。文部科学省の研究して

いるのは、強い放射線を一、二回で周りの健常な細胞を傷めないような


やり方で、こちらの方がコストが安く済みます。

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