終活、終末医療、介護など、議論がまだの分野を医者や弁護士だけで決めるのは? [終活]
就活ではなく人生を終える活動の「終活」という言葉が、今クローズアップ
されています。日本の平均寿命が男80歳、女88歳の21世紀に、定年退職
や子育ての終わった後の人生が長いです。但し、医者や弁護士にその方向
を握られている実態はお寒いものです。また、介護の実態も若いニイチャン
ネエチャンでは必ずしも親切ではなく、安心して任せられるにはほど遠いです。
外国人の介護士は言葉の壁や資格で少数、でも老人ホームに入所すれば15年
は長生きします~
65歳定年後に、最低15年続く人生を長いと見るか?短いと嘆くか
個人差があると思いますが、厚生労働省ではさっさと死んでくれと言う
本音が言えずに、「明るい老後を迎えるに当たって」という、訳の分からない
白書を以前にだしています。まだ、社会保険庁のあった時代ですが、当時で
男75歳、女82歳の平均寿命だったと記憶しています。私も、大学卒業する
か否かの頃、祖父は95歳で亡くなりました。
年金問題はまだなくて、膨張する老人医療費問題が国会やマスコミで騒がれ
ている時代でした~
父が82歳で鬼籍に入った時に、何も決めていないし本当に突然ぽっくり逝って
しまい、お陰でその後遺族で毎週会議を開いて、財産分与や残された母の生活、
地元でのつき合いや家のリフォームを、私自身が司会をして決めました。
父の世代は、そういうピンピンころり世代で...ある日突然亡くなる方が多く、
知り合いや幼馴染のおうちも似たような感じで、近所のお寺の護持会に出て
みたら、出席者がみんな似たような混乱を経験していました。
遺言って、お金持ちの老人が亡くなった時の争い防止のための方策の感じが
しますが、実際は低所得の身寄りのない年寄りが亡くなった時の方が、意味が
あるそうです。なぜならば、どこに葬ってほしい~そのために費用は誰に請求
して、どういう風に住居は処分して形見分けはこう式の指示がされていると、
残された遺族より主に役所の福祉担当者が助かるそうです。そうでなくても無縁
仏を管理する公的墓地の担当者など、遺言があると混乱せずに手続きができる
と語っています。自己決定権って臓器移植で問題になっていますが、都会の独居
老人の死亡時にもかなりその考え方は生きています。
ペットの世話は、朝夕のエサとトイレ、それに小屋の掃除です。
飼い主がいないと全部自分でやるしかなく、野良犬や野良猫は
可哀そうな存在です。じゃあ、人間はどうかと言えば、まだ自分で
食事や洗濯、トイレや片づけができるレベルなら問題無しですが、
歩くのができなくなると買い物やお風呂が大変で、だんだん不衛生
でやせてきます。ここで、普通は家族や近所の人たちが気がついて、
要支援のレベルになり独居老人でも民生委員の訪問を受けたりします。
だんだん、世話のできる親族が同居したり、そこに引き取られたり
します。でも、親族の介護も老々介護になりがちで、どこかで覚悟を
決める必要があります。デイサービスを受けたり、時々入所したりで
だんだん年齢も九十近くなります。
家から少し離れたところに老人ホームに誰が入所したか、いつも話題
になります。最初のころは、家で嫁にめんどうみてもらった方がいい
式の自宅介護論がさかんでした。ところが、老々介護や嫁の介護疲れ
の問題が起こり始めてからは、やっぱり施設入所のほうが安心という
声の方が増えてきて、本人も認知症が始まるかどうかの頃にいつ頃
入所の約束をしておくのかが、家族や息子夫婦の準備みたいになりました。
デイサービスはそのまさに準備段階で、盆暮れの大変な時期のみ入所して
ふだんは自宅でどうにか生活、だんだん入所期間や機会をふやしていく
のだそうです。
近所のそういう話を参考にしながら、親の健康具合を確認しつつ子供
たちや孫たちが構えている時代だなと思います。
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されています。日本の平均寿命が男80歳、女88歳の21世紀に、定年退職
や子育ての終わった後の人生が長いです。但し、医者や弁護士にその方向
を握られている実態はお寒いものです。また、介護の実態も若いニイチャン
ネエチャンでは必ずしも親切ではなく、安心して任せられるにはほど遠いです。
外国人の介護士は言葉の壁や資格で少数、でも老人ホームに入所すれば15年
は長生きします~
定年後、子育て後の人生のテーマ
65歳定年後に、最低15年続く人生を長いと見るか?短いと嘆くか
個人差があると思いますが、厚生労働省ではさっさと死んでくれと言う
本音が言えずに、「明るい老後を迎えるに当たって」という、訳の分からない
白書を以前にだしています。まだ、社会保険庁のあった時代ですが、当時で
男75歳、女82歳の平均寿命だったと記憶しています。私も、大学卒業する
か否かの頃、祖父は95歳で亡くなりました。
年金問題はまだなくて、膨張する老人医療費問題が国会やマスコミで騒がれ
ている時代でした~
決めるのは本人、医者や弁護士が決めている実態
父が82歳で鬼籍に入った時に、何も決めていないし本当に突然ぽっくり逝って
しまい、お陰でその後遺族で毎週会議を開いて、財産分与や残された母の生活、
地元でのつき合いや家のリフォームを、私自身が司会をして決めました。
父の世代は、そういうピンピンころり世代で...ある日突然亡くなる方が多く、
知り合いや幼馴染のおうちも似たような感じで、近所のお寺の護持会に出て
みたら、出席者がみんな似たような混乱を経験していました。
遺言って、お金持ちの老人が亡くなった時の争い防止のための方策の感じが
しますが、実際は低所得の身寄りのない年寄りが亡くなった時の方が、意味が
あるそうです。なぜならば、どこに葬ってほしい~そのために費用は誰に請求
して、どういう風に住居は処分して形見分けはこう式の指示がされていると、
残された遺族より主に役所の福祉担当者が助かるそうです。そうでなくても無縁
仏を管理する公的墓地の担当者など、遺言があると混乱せずに手続きができる
と語っています。自己決定権って臓器移植で問題になっていますが、都会の独居
老人の死亡時にもかなりその考え方は生きています。
介護の現場は、ペットの世話より雑
ペットの世話は、朝夕のエサとトイレ、それに小屋の掃除です。
飼い主がいないと全部自分でやるしかなく、野良犬や野良猫は
可哀そうな存在です。じゃあ、人間はどうかと言えば、まだ自分で
食事や洗濯、トイレや片づけができるレベルなら問題無しですが、
歩くのができなくなると買い物やお風呂が大変で、だんだん不衛生
でやせてきます。ここで、普通は家族や近所の人たちが気がついて、
要支援のレベルになり独居老人でも民生委員の訪問を受けたりします。
だんだん、世話のできる親族が同居したり、そこに引き取られたり
します。でも、親族の介護も老々介護になりがちで、どこかで覚悟を
決める必要があります。デイサービスを受けたり、時々入所したりで
だんだん年齢も九十近くなります。
老人ホームの良さ、自宅よりは施設
家から少し離れたところに老人ホームに誰が入所したか、いつも話題
になります。最初のころは、家で嫁にめんどうみてもらった方がいい
式の自宅介護論がさかんでした。ところが、老々介護や嫁の介護疲れ
の問題が起こり始めてからは、やっぱり施設入所のほうが安心という
声の方が増えてきて、本人も認知症が始まるかどうかの頃にいつ頃
入所の約束をしておくのかが、家族や息子夫婦の準備みたいになりました。
デイサービスはそのまさに準備段階で、盆暮れの大変な時期のみ入所して
ふだんは自宅でどうにか生活、だんだん入所期間や機会をふやしていく
のだそうです。
近所のそういう話を参考にしながら、親の健康具合を確認しつつ子供
たちや孫たちが構えている時代だなと思います。
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タグ:終活 介護 終末医療
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