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さて、中国では株安で政府介入、日本やアメリカは少し下げ気味~ [株式]

中国では、株が下がり続け、えらいこっちゃです。

この国が、いまだに共産主義国なのは非常に不思議です。

私有財産制を部分的には否定して、株式市場に政府が直接介入する~

無意味だと思いますが、ネットでいくらでも国際的にマネーが入ってくるのに・・・

一政府が世界的な株価を操作しようというのは、おバカな試みです。






固定相場制時代の株価


ベトナム戦争までは、ドルが金と同じくらい国際通貨の中心でした。

金をたくさん持っている国が、偉かったワケです。

当然、アメリカが一番多く、次がドイツやフランスなどのヨーロッパの国々でした。


それらの国の企業の株式も、当然のように国内の機関投資家が中心でした。

ただし、アメリカとヨーロッパの国々での株の売買はありました。

アジアでは、東京、香港、ボンベイくらいで、当然のごとく他との取引はありません。


外資系企業って、当時はアメリカやヨーロッパの企業を指してました。

これが、やがて日系企業にも使われるようになり・・・

今、中国の会社も外資系としてアフリカの国々に駐在しているのが現実です。

変動通貨制時代の株価


ニクソンショック以来、通貨が変動相場制に切り替わりました。

これによって、外国の資金が特定の国の通貨をめざして、どんどん流入していきます。

当然、国際経済力の有無がそのまま、通貨の相場に影響します。


結果として、外国の機関投資家の方が、国内の投資家より有利に株の売買ができるケース~

逆もありますが、日本の場合は円高が進んだために、海外の株式を買いやすくなりました。

海外旅行できる国は、海外の株式も爆買いできるワケです。


かつての日本、20年前のアジアNIES、今の中国は似たような感じです。

通貨が強くなれば、株式の動きも活発になるのですが・・・






冷戦終結後の株価


株式って、資本主義世界の産物です。

なのに、冷戦終結とアジアNIESの経済発展は、株式市場の拡大を促しました。

さらに、インターネット取引やモバイル取引は、そのスピードを加速しました。


当時は、まだ証券会社の窓口で株の売買をやっていました。

証券取引所も、東京・大阪・名古屋などが主で、国際的にも東京・ロンドン・ニューヨークでした。

まさか、中国で株式売買が行われるなんて、想像さえできませんでした。(香港ではやってました。)


日本は、バブル経済が弾けて、デフレ経済が20年続きました。

その後、山一証券が倒産(’97年)しました。

ネット上では、証券会社がオンライントレードをスタート!(’99年ごろ~)


世界的な証券取引の24時間化、その方向には行っています。

が、ただ東京→ロンドンなどヨーロッパ→ニューヨークという感じなだけです。

売買後の処理を考えると、一か所で24時間は到底ムリな話です。


そこが通貨や金の取引とちがう所です。



ネット時代の株価


二十四時間、地球上のどこかで証券取引所が開いてます。

どこかで株が暴落したとすれば、どこかでそれを買い上げる動きがあります。

東京、ロンドン、ニューヨークで連鎖的に株安の日もあります。


が、株の投資家って常に逆の動きをして、利幅を増やしていきます。

つまり、中国で株が下落傾向にあれば、少しずつ売られた株式を拾う動きがあります。

買い手がつけば、損切したい投資家はもっと売りに出ます。



そうやって、中国人の株式保有者は、紙屑になる株券をどんどん放出していきます。

気が付いてみると、ハイエナ機関投資家に買占められている、こともよくあります。

ただ、中国市場に外国人投資家が介入するほど、開放的ではない制度上の問題もあります。


中国政府が作った株式市場、株価が下がらないように法律を作る?

など、おかしな制度や操作を行うので、結果が不透明です。
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